明日の行動ログ

7:30起床

8:30出勤

13:00頃現場退勤

16:00船

17:30新幹線

18:30宿

19:30研修

21:00宿

 

反芻しながら乱数を覚える変態

面倒を行動に変える天才

テクノロジーをイデオロギーに変えて人災

扇動を情動と捉えて免罪

計画停電 遊星民営化 旋転スプリング

トロヴァオの友 釣り船不沈艦 

広がる私怨の輪 低能な啓蒙

無活動の顧問 潰散後に最下位

中島らもの真似事 宝島からの戯言

面倒を免罪に行動も

騒動に反駁も反省し

萎れた花に塩を振れ

Zigeunerweisenに針落とせ

 

トゥデイ

ふと困った時は

母なる星が語りかける
「金を借りてでも部屋の中身を取り換えろ」

 

為すがまま日常は
明日は我が身の連続写真
眺めていても
感じるものは何もない

 

日が沈む西の空に飛び交う
コウモリの乱反射
餌にしていい本当は
飼い猫にやりたかった鼠

 

マイセンで汚れた肺で
息も絶え絶えに走ってみたけど
世界線は音も立てずに
さよなら 切り離していくよ
後から来たって締め切りのトゥデイ

 

ふと困った時は
母なる星が語りかける
「身を削ってでも土地を手に入れりゃ万々歳」

 

縄張り争いは辛えもんだ
腕っぷしもなく立つ口も無く
死に絶える寸前の迷脇役

 

メリーゴーランド
メリーゴーランド
乗ってた笑顔のあなた
シャッターを切れば
全てブレてしまう しまう
カバンの底に眠ってる思い出 思い出

 

マイセンで汚れきっちまった肺で
息も絶え絶えに走ってみたけど
世界線は音も立てずに
ちぎれた 遠くへ行こう
途中下車即ち死のトゥデイ

 

他人の夢

‪ザギトワ選手美しい。中々美しいとか、綺麗とか、可愛いとかシラフで言葉に出すのが苦手なのを解決したい。

 

以前ドラッグストアで闇の仕事をしてた時に、売り場の店員でバンドやってた人がいたんだけどあの人今何やってるんだろうな、とふと思い出してしまった。

もう彼の名前もバンド名も覚えてないけど、乙でのライブ見に行った記憶が。

彼はベースを担当してて、ギタボとの2人組で、スクリーンに抽象的な映像を写しつつ、なんかシューゲっぽい音楽をやってたのは覚えてる。‬せめてバンド名だけでも思い出したいけどもう無理なんだろう。哀戦士の歯並びの悪さが哀しい。

 

なんとか麻婆豆腐は作ったが角煮までは手が出なかった。圧力鍋を買ったけどまだ開けてない。掃除というか、部屋の片付けをやる方が先決な気がしてきた。軌道修正。

 

長文のLINEをいただくも、何て返せば良いのか分からず数時間経過した。返す言葉が出てきたら返す、で良いのかな。

 

地元がなぜ嫌いか、というと小中学校内でのいじめられたりいじめたりがあったからだと思う。このまま同じ町にいたら私は多分引きこもりか宗教の鬼にでもなっていたのではないか。高校から市内を飛び出して、大学から県を飛び出して本当に良かったと思っている。

ていうか半強制的に天理の高校大学受けさせる人らもいる中で、高校大学の選択にある程度の自由を与えてくれた親まじgood jobだ。そんな中でも少しばかりの誓約はあったけど。

でも周囲の人間の知能レベルが上にも下にも幅広くないと理解できないこともままあったんだろうなあと思うと、悪くはない経験だったのかもね。あの時のあいつはああいう環境で生きてたからああだったのかな、ってのが今になって色々お察しできるように。

悪い奴ぶってるけど心根の良い奴もいたし、悪い奴ぶってて本当に悪い奴もいて、そいつら同士は仲間だったりして、その見分けが本当に面倒くさい世界であった。

戻ったら戻ったであの土地も都になるのかどうか見ものだな。

 

引き寄せの法則ってある程度は働いてると思うから、心の自由を手に入れたいってことだけは忘れたくないし、見るならそういう夢が良い。

 

私よ、売り物になるならある程度のテクニックはいるけど売り物にすることをもう諦めてはいるから、そんな曲を作るのは楽しくないから、このブログみたいな感じで言いたいことを少しばかり頭をひねって叫ぶ曲を作っていけば良いんではないだろうか。

 

人に打ち勝つ前に自分に打ち克てないくせに心の何処かで人を見下したくなったり差別したくなったりしている自他を見るのは嫌だな。

社会の中の、ほとんどお金が絡む比較の檻に生きている人間という動物の性であると思う。

インターネットを見ていると、わかりあうなんて無駄なのに頑張りすぎるのも良くないと感じる。政治家とか本当大変だよなと思う。

適当なあしらい方のパターンをたくさん身につけることは大切だ。語彙と演技力を身につけたいものよ。

呼吸の資格

仲の良い人達が温泉で茹で上がって死んでいる夢を何度か見たことがある。

 

何の暗示なんだろうか。

有難くない夢を見ても別に有難くないことはあまり起きないから、思い出さない限り気には留めないけど。

 

荒天が続いて太陽を見ない日も珍しく無くなった。お陰様でセロトニンノルアドレナリンといった意欲、情緒を司る神経伝達物質を起床時から沸かすのに苦労する。

ブログのタイトルもそんな感じに。

雨雪が絶えないけど、たまの晴れ間には山の麓に虹が渡ることもあって、「山の麓」という言葉が出るあたりここは紛れもなく田舎であると感じる。

 

仕事があるお陰で、働いている間は人間愛などを存分に発揮しているつもりではある。お金をもらってる以上、顧客や雇用主のニーズに応えることは大事だ。

休みになると布団の中で正午過ぎまで微睡んでいる。インターネットや競馬は血眼になって出来るのにね。

 

遺憾。

 

注意力散漫

飽き性

片付けられない

時間が守れない

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金は掛けずに

金を賭けよう

時間は掛けずに

時間を賭けよう

 

「取るべき行動が時間内に取れなかったらAmazonで欲しいものを思いつき次第購入してしまう」

という行動ルールを思いつく。

欲しいものはどんどん手に入るけど、行動しないとあっという間に破産するシステム

まさに悪魔の囁きとの戦いを試してみる。

iPhoneのリマインダー活用。

 

 

人を憎むようなことはあまり無いけど信頼していた人たちに対して心底残念な気持ちになったことがあった。し、信頼してくれたと思う人を裏切って残念な気持ちにさせたことがあった。

後者の方が割合としては多いくせに前者のことに何故か執着して気落ちする。

 

認知。

認識。

認容。

許容。

包容。

 

ぐにゃんぐにゃんに休日腐ってしまった。

何度か半端なトライで一回戦敗退参加賞をもらい続けたことを思い出していた。あの頃関わりのあった人達には一生勝てない気持ちを抱えたまま生きていく。敗者の刑ってこのことか。

 

ビルの谷間で呼吸する資格は無いと思い週末都会に出るのを諦める。

 

今からでも麻婆豆腐と豚の角煮を作り風呂に入る。夜を満たす。記録を残す。茶を濁す。

 

進捗

 

みっともない自分や格好つけたい自分を曝け出したいけど、それは本当に恥ずかしかったり怖かったりする。でも一度思い切って言ってみたら、案外ドン引きされなかったり、興味を持って面白がってもらえたりもする。もちろんドン引きされる可能性もあるのだけど。

 

親からは、昔は早く結婚して子供を作った方が良いと言われた。

最近は、あなたのタイミングで、あなたが良いと思った人と結婚しなさい、と言われる。

 

父は天理教の教職と、塾の開設者、また身寄りのない子供の里親という三足の草鞋を履いて、日々奮闘している。

一つめの職では、物理的、精神的に生活に恵まれなかった人の相談に親身になって寄り添い、郷里に基づいたアドバイスを送り、気持ちばかりの御供え物を受け取っている。

二つめの職では、学習能力の低い児童、生徒を対象とした新しい教育方法を売りとして、まだまだ駆け出しで受講生集めに苦労しつつも、朝から晩まで働いている。

三つめの職(?)は元々私たち息子が成人したら始めようと、母とともに考えていたらしい。

預かっている子供は重度のADHD/LDを抱えており、このまま無事大人になれるのか心配な感じだ。父は先述した仕事の方で忙しく、身の回りの世話は母の方が主に行なっていると思う。

 

母は元々主婦かつ、父の教職の補助をしているが、今は里子の世話がメイン(育成補助金は自治体から最低限もらえる)、他に塾の手伝い、市の民生委員として独居老人の見回りなどをやっているようである。しかしながら以前から視力がひどく低下しており、ついに自動車の運転を諦めたようだ。

それでも最近は徒歩でそれらの仕事をこなしているようであり、むしろ逆に健康になった、などとよく言っている。

 

世帯収入は私が子供の頃から微々たるもので、祖父の貯蓄や資産運用を駆使するなどして、なんとか生活費を工面し、2人の息子を世に送り出した。本当に立派だと思う。

 

かたや不肖長男。

家を出て早12年。大学時代をぬるぬると過ごし、悪あがきとハッタリで国家資格を取得。特に労せず職を得て、良き友人、先輩、後輩、同僚達にも恵まれ、音楽や競馬などを嗜みながら、都会の気風に染まって暮らす。

幾度か恋愛事象を体験するも、生活面での怠惰な性分を悟られたり、性格や家庭環境の不一致等を理由にしたりして、別離の結果を迎えており、未だ独身である。

 

恋愛事象の別離の原因として上記を挙げたが、詰まる所、自分の未熟さや臆病さが根本にあるだけだ。それは、成り立たなかった音楽活動であったり、安月給などと宣いながら流さるるままに働いてきた仕事であったりにも言えることだと思う。

もう若くもないと見られることもある年齢になり、何が変えられるか。性格的な部分は、変えられないことの方が、多いのかもしれない。

それに、まだモラトリアムの心地は、島に流されても、どこか抜けないままだ。

 

一度きりの人生、好きなこと、やりたいことをどんどんやるべき、という気風が世の中に蔓延っている。

しかし、好きなことややりたいことをやるだけでは、ほとんどの人は生活が成り立たない。

好きなことややりたいことが仕事と直結している人よりも、していない人の方が圧倒的に多いだろう。

もし全ての人が理想通りに、好きなことややりたいことを自由にできる世界が来たとしたら、それは今の世界の終わりなのではないかと私は考える。

好きなことややりたいことというのもパイの奪い合いであり、それを生業として、他者に重宝される人は、利益を得られるが、他者のニーズとマッチしない場合は、いわゆる仕入れ損の状態に陥ってしまう。それでも好きなことに対してのスキルは上がるかもしれないが、ニーズを得ている人に追いつけるかというと、全く新しい方法論、視点の違った方法論を編み出さない限りは絶対に追いつけないと思う(これからの時代、一度ニーズを得た人が急失速するというのは考えにくい。ニーズを得た人が慢心せずし精進していく例の方が増えている気がする)。

 

ただ、好きなことややりたいことを生業する「生産者」でなくても、余暇のうちでそれらをこなす事は十分に可能であって、好きなことややりたいことをやる「消費者」になることは誰だって可能だ。むしろ大多数の人は、その為に汗水流して働いている。私もその一部と考える。

では、今の暮らしを支える、元々は仕方なく労に就くこととなった仕事は本当にやりたくないことなのか、その辺りの自問を最近考えてみたが、これは意外にも「やりたくないこと」ではないが「やるべきこと」であり、社会のニーズを満たしているという面では誇れることである、と思うようになった。

ダービージョッキー」という競馬を題材とした漫画で、スランプに陥った主人公のジョッキーが先輩ジョッキーに諭される場面での、先輩ジョッキーの言葉で「本当のプロフェッショナルとは、人々を笑顔にできることなんじゃないかな」というのがある。

その言葉にとても感銘を受けて以来、社会の穴を埋める者としてのやりがいを少しずつ感じられるようになった気がしている。

今日も何人かの人を笑顔にするやりとりが出来た、という積み重ねが月に一度の給与となっていると考えると、今の仕事は満更でもないな、と。

 

なので、やりたいことをやろうぜ!とは私は言えないが、人を笑顔にしない仕事ってのは、実のところあまり無いと思うけど、もしそんな仕事をしている、そんな職場にいるあなたは早めに仕事を変えた方が良いよ、とは言える。

 

さて。

誰も見ていないと思うから取り留めもなく書いている。 

 

実際のところやりたいこととか夢とか意外と叶えてしまったから、今はなんだか仕事に身が入っているんじゃないか、と思うところもある。

それでももっと大きな夢は持ってそれに少しでも噛り付いていく方が人生としては素敵だなと思う。そんな夢が今はぼんやりしてたり眠る間に変わったりしているんだけど。

それはきっと、音楽や映画や本に兎に角触れまくったら、何か見えてくるような気がしている。貧に陥ってもそれらがあれば人生の彩りは褪せないはずだと。

 

いつか今さっき書いたことはもっと整理整頓した言葉で言えるようになりたいからついったーとかでも何度も同じことを書いてみようかと思う。

 

あー。最初に結婚がどうとか書いた。

宗教的に、子孫を繋げていくというのは人類の義務と考えているであろう両親なので、親に孫の顔を早く見せてあげたいとは思うけど。

私は2年後くらいに実家に帰る算段でいる。出来れば川崎の街とかすごく居心地が良いんだけど、まあ日本にいる限りは何処にいても住めば都と思うようにもなっている。今は車も持ってるし。

あと2年の間に結婚とか、具体的には考えられないなあ。そういう状況に至れるようにするには、将来天理教を継ぐとか継がないとか、奨学金返しきるとか、グレーゾーンをハッキリさせるのがベストなんだろうけど、なかなか急には、という所。

継がない気持ちの方が大きいのは、私にとっての宗教では、周りの人を笑顔には出来ないと考えるからである。父にとっては笑顔にできているから、仕事として今も少しは成り立っているが、私にはそこまで宗教に対しての気概や信仰心はない。

考え方とかは、素晴らしいと思うし、熱心に活動してる人は、それはそれで感心するところもあるけど、布教活動というのを信心深くない人がなあなあでやると「ナニヲヤッテイルンダロウボクハ」と心が機械のようになっていくから、気をつけろ。

あと宗教も結局経済活動が無いと成り立たなくなってるという部分で本当に🖕( ´∀`)🖕寺とか神社とか教会とか、宗教施設見るのは好きだけどね。拝観料と多少の御供えは全然するけどさ、どの宗教がとは言わないけど893のみかじめ料みたいなシステムがあるらしく、これは本当に🖕🖕🖕だよ。

 

ここまで書いて結論はぼんやり見えてるけど行動起こせないって情けないな、と思うけど、機が熟しやすくなるように発酵の度合いをいろんな手段でまずは高めていこうね、って所かね。

 

Hey JUNE

 

ハンドルを放す前に [LP] [Analog]

ハンドルを放す前に [LP] [Analog]

 

 

自分らしく、また自堕落な日々と、そこから反省して少しだけきちんとする日々を3:1ぐらいの割合で繰り返していた。

課題が多くて、キィィイ!となる前に、とっととやる太郎なのだ。
 
気分が良いことがあると日記を綴りたくなるという傾向にある。
 
語り継がれる教訓はやはり常識、当たり前、真実なのであり、それに素直に従えなかったり、実践出来なかったりする人は、上手くいかんのだなあ、と思う。
でもそういったことで悩むから生まれる芸術もあるもので、なまじ手を伸ばしてそこから意味の無い意義を見出して鬱悦に浸ることもあれば、新たに意義のある思想、そして実践に繋げられてまた新たにその功罪の沼に他人を招くこともあり、森羅万象の受け取り方は十人十色でもどかしかったり面白かったり、する。
 
2015年も早6月、月の一発目に、新宿アンチノックにて、「かっしー」名義の初ライブをやってきた。「スピンオフの休日vol.1」という、The Life Plant荒川君の企画である。
 
何故個人名義にしたかというと、自分の名(ニックネームだが)の下、自分ひとりの中から自然と湧き出るアイデアを面白おかしく具現化出来たらいいな、と思ったから、というのは半分ぐらい後付けで、半分ぐらいはなんとなくその方がしっくり来るから、という自分らしい曖昧模糊な理由による。
 
どうせ名義を変えるのだから、何か新しいことをやろう、と思い、持ち時間20分で、iPhoneGarageBandというアプリの、自動演奏のドラムを流し、それにギターのフレーズをエフェクターを駆使してループさせて乗せ、さらに唄またはラップまたは喋くりを乗せる、という感じの、即興芸を披露することにしたのは、昨日のことで、準備もへったくれもなかったのだが、一念発起、チャレンジしてみたのである。
 
行き当たりバッタリのため、出来は御世辞にもきちんとしたものでは無かったが、調子の良いリズムに浮かんでくる言葉を、思うがままにつらつらと乗せていくという行為が思いの外気持ち良く、完全自慰この上ない、永遠のようなあっという間のような不可思議な20分を過ごした。
 
共演者のアクトもどれも良い意味で奇をてらえているもので、とても陶酔感のあるイベントだった。
 
ライブハウスが好きで通っている人じゃないとわからない、アンダーグラウンドな気持ち良さが、全てにはならなくても、自分の周りからでももうちょっと広げたいな。
 
しかし酔いが醒めたのに、幼稚な反省点の多さで顔が赤くなる一方だ。自分の語彙を糠床に漬けたい気分。

近況①


最近は、精神的には、健やかな暮らしを送れている気がする。

最近行ったアレヤコレヤを端的に。

4月
Computer Magic の東京公演@渋谷WWW
幾何学的、近未来的な映像の数々が良かった。
機材トラブルと、会場の音響に、うーん、と思ったことが何回かあったが、Danzieタンが可愛かったので許す。シンセの音と、メロディーと、歌声と、シンプルながらに計算されたリズムが好きだ。

Pelican Fanclub のワンマン@下北沢シェルター
東京の若手バンドの中では今一番格好良い音楽をやっていると思う。ステージに置かれた10個ほどのアナログテレビから映し出される映像が素敵だった。ギターのクルマダ君は同郷出身であったり、ライブハウス吉祥寺WARPでお世話になっていたりすることもあり、全国を股にかけて大いに活躍してほしい。

Paul McCartney の東京ドーム公演
2日間行った。ほぼ同じセットリストでも、2日間とも大いに感動。何度観に行っても、同じレベルの感動を抱くんだろうな。

5月
映画「セッション」
天才らしいが童貞臭に満ちた若手ジャズドラマーと、戦時中の鬼軍曹を思わせる教官との葛藤を描いた作品。宣伝だと師弟愛に溢れる映画なのかと思ったら、そんな言葉では片付けられない精神的、技術的闘争が繰り広げられていた。。。という先入観の裏切りっぷりは、「巨人の星」に通じるものがあった。

ヤオコー川越美術館
埼玉のモンスターマーケット、ヤオコーが経営する美術館であり、三栖右嗣という画家の作品の記念館。
生命力溢れるというよりは、人や自然の生き様がありのままに、力強く描かれた作品が多かった。

まどろみレコーズ企画「針と栞vol.2」@吉祥寺WARP
初めて観たUkiyo Girl、mantle brothers、カングルワングル、観るのは2回目のool、3ピースでは初めて観るSUEZEN、どのバンドも、楽曲が力強く、トラブルすらも味のある表現に変えてしまう良いライブをしていた。mantle brothersはフジロックに合いそうだし、カングルワングルはBAYCAMPみたいな深夜の野外フェスに合いそうな、深くてノレる音楽だと思った。3ピースのSUEZENの新曲も良かった。音源が早く聴きたいぞー。
会場には演者オススメの古本が販売されており、タイトルに惹かれた3冊を購入。好きな方々のオススメというのは、ミーハー地味た私にとって興味を唆られるものだ。
なんとも素晴らしく酔ってしまい、演者の方々と楽しく打ち上がったあと、ドブネズミの屍体のようになってネカフェで寝た。

退屈感、空虚感に苛まれて後ろ向きになりがちな自分であるが、こうしてみると1〜2週に1回は何かしら姿勢が伴えば良質なインプットの機会に脚を運べている点では、そんなに些細な事で卑屈になる必要ないんだよな。
という、当たり前のことを書き記さねば修正していけないタイプの人間性だと自己診断している。
恥を忍んで、という概念を、カンナ削りのように薄く薄く削ぎ落とす作業のようなことを、もっと面白く出来たら良い。